麦を 糒加工してお湯の中に溶かして飲んでいました。
この時代の麦を糒加工したものを
はったい、炒り粉、香煎などと呼ばれ、親しまれてきたのだそうです。
特に5〜6月の借入直後の麦を加工したものは、とても香ばしくておいしかったことから夏の飲み物となっていったということです。
室町時代、戦国時代には、
公家、武将たち、そして庶民の間でも好んで飲まれ、お酒に溶かして濁り酒のようにして飲んでいました。
その後、江戸時代、元禄文化になると、麦こがし売りが出現し、繁盛。
そして、文化文政のころになると、麦湯店の屋台が現れ、麦湯を楽しむ人がおおくなりました。
しかし、江戸末期には、減少していきます。
その後、明治時代には、一般家庭で麦湯を作るようになり、家庭の飲み物と変化していき、
昭和30年代になると、冷蔵庫が普及すると同時に、この麦茶を冷やして飲むのが種類うになっていきました。
麦茶という名前が浸透していったのは、昭和40年くらいから。
昭和38年に日本で初めての麦茶のティーパック商品が開発され、発売されました。
そこから、大量生産で、各家庭に麦茶が浸透し、日本人に愛される飲み物になったようです。
ラベル:麦茶